- March 1, 2008
- Category: Classic
Classicのカテゴリを作ってみる。
Amazonのアフィリエイトを始めてみようと思い立ち、ちょうど良さそうなジャンルをひねり出そうと思い立ち、うんうん唸って出てきた答えが「Classic」。
…芸がない。
ということでせっかく思い立ったのでつらつらとやってみる。
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…芸がない。
ということでせっかく思い立ったのでつらつらとやってみる。
Classicカテゴリ第1投稿は自分がクラシックの世界にのめり込むきっかけとなったキーシンでございます。
彼の演奏を初めて見たのが1991年サントリーホールリサイタルのBSの放送。当時中学2年だった自分は学習塾から帰宅した夜10時過ぎに母親がビデオ録画したものを再生するのを横目で見ながら夕食をとっていた。
もじゃもじゃ頭の神経質そうな青年が弾いている姿に目もくれず、ただ流れてくる音楽を聴きながら飯をかき込んでいた。ショパンのピアノソナタ3番を弾いていたが、自分の知らない曲だったため、何とも感じずに聞き流していた。
が、次の曲に移り、聞いたことある曲だな、と感じたところで箸が止まってしまった。リストの愛の夢第3番だった。
なんて、青臭い思い出が頭がよぎったわけですよ、Youtube見て。
世の中、実に便利になったもんです。
ミスタッチの場所が異なるので実際に自分が見た日の録画とは違う日の録画の様子。
1971年生まれ。今、もっとも売れっ子のうちの一人。85年のショパンコンクールでブーニンが優勝し、日本でブーニンブーム(とは言ってもClassicのブームなんてたかがしれているが)に沸いていた頃、
「ロシアにはもっと凄いやつがいる。まさに神童にふさわしいピアニストが。」などと噂になった人でございます。ちなみに、このときキーシンはショパンコンクールに出れば必ず優勝、といわれていたが、年齢制限で出場できなかった、なんて噂も流れていた。ともあれ、コンクールで入賞してキャリアを積み、ヴィルトゥオーソへの階段を上っていくのが常道な昨今、全く持ってコンクールに参加せず、ただただコンサートを続けることでキャリアを積んできた、今時ほとんどいないタイプのピアニスト。
12歳の時点でモスクワデビューを飾り、14歳で初来日。このときが西側デビューとなる。17歳でカーネギーホールにてアメリカデビューを飾るともうその時点でとんでもない人気者になってしまった。88年のベルリンフィル、カラヤン最期(御年80歳、ソリストとの年齢差63歳!)のジルベスタコンサートでソリストを演じる。カラヤン最期の映像作品となる。
Youtubeには丁度これらがちりばめられている。まずはモスクデビューの音声のみから。
ショパンの協奏曲1番。
まぁ、これを聞いてもジャケットの映像だけ差し替えた別の大人の演奏と疑いかねないが、映像もきちんと残っている。ほら、中途半端だけれども。
目をつぶって聴くととてもじゃないけれども小学6年生の音には聞こえない。凛とした清々しい演奏をやってのけています。
で、14歳の横浜リサイタル、と思ったところですが、アップロードされていたStage6が先月末で閉鎖してしまったため、15の時の東京リサイタル。
まずはプロコフィエフのソナタ6番戦争ソナタ第4楽章。
プロコフィエフのソナタ6番「戦争ソナタ」第4楽章
のだめブームに乗ってさそうあきらの漫画「神童」が映画化されたけれども原作で鳴瀬うたが八百屋のせがれ、和音の学校の文化祭について行って喫茶店で弦切りをやってのける激しい曲。余談だが、クラシックを描いた漫画はいくつか存在する。そもそも音という目に見えないものを漫画という視覚にしか訴えないジャンルで表現するのはがつらいのは想像に難くなく、どの漫画も主人公や取り巻く人々のパーソナリティをメインにストーリーを進めていく形となっているが、いくつか例外がある。その最たるものが手塚治虫絶筆の「ルートビッヒ」である。この作中ではベートーベンが変奏曲を演奏し出すと横山大観ばりの豪快な波が押し寄せ、また、バッハの平均律クラビアを弾き出すと緻密で永遠と続く積み木が描き出される。この表現はあまりに衝撃的で、古本屋で初めて見たときにのけぞる思いをしたことを覚えている。「よくわからないけど、なんか、音が見える!」という感触はこの漫画以外で感じたことはない。「神童」はここまでいかないにしろ主人公鳴瀬うたの才能を絵で表現しようと作者のいろいろな試みが見え隠れしており、主人公が腰痛のおじさんの腰を触るとおじさんがすくっと立ったり、耳が聞こえない子供たちが大きな風船で振動を感じて音楽を楽しんだりと、かなりがんばっている雰囲気はある。
横道にそれた。
15歳の時のキーシンである。
このときの演目がラフマニノフのリラの花から始まり、プロコフィエフのソナタ、リスト、ショパン、スクリャーピン、最後に三枝成彰編曲の夏は来ぬ、灯台守、うさぎと日本の唱歌へ続いていくのだが、この中で一番印象の残っている曲がこの曲、リストの演奏会用練習曲2番「La Leggierezza:軽やかさ」。
この曲は様々な人の録音があるが、皆、いかにもリスト、といった感じであっさりと早いパッセージを弾きまくる、といったものばかりとなっている。しかし、この演奏は違う。どっしりと腰を据えて、音を響かせてピアノに歌わせている。この録音と次に弾いた「森のささやき」はあまりに美しく、このリサイタルの中での一番の聴き所と、独りで思いこんでいる。
で、カラヤンとのジルベスタ。
この演奏は3楽章だが、やはり、目をつぶっても弱冠そこそこの若者が弾いているようには聞こえず、また、ベルリンフィルもノリノリ。唯一、おじいちゃんのカラヤンだけが疲れた雰囲気を醸し出していて、少し痛々しい。このときの1楽章では若さあふれるキーシンが突っ走り、それに対して孫を諭すようにカラヤンが指揮を止め、「落ち着くんだ、はやまるな」とて両手を胸に当てる。それにキーシンが答えると「ああ、そうだ」といった感じで再び指揮棒を振り始める、というシーンがある。自分の中ではとても好きな場面である。演奏しながら指導する、そんな「おじいちゃんと孫」ごとく暖かな一瞬である。DVDにも出てるので興味があればどうぞ。
途中でのだめが出てきたのでリストの超絶技巧練習曲第5番「鬼火」
のだめがコンクールのオクレール先生の前で「いやそうに弾いた」曲でございます。この曲も「リスト名人」ジョルジ・シフラをはじめ、様々な録音が残っているが、やっぱり皆、「どうだ、すごいだろ」的な演奏が鼻につき、どうしても好きになれない曲だったが、キーシンの演奏はその嫌みがあまり前面に出ておらず、とても好感が持てる。ちなみにCDで出ている録音ではこの曲の後に第8番「狩り」が轟音をとどろかせって始まり、柔らかな音でうとうとしかけていたところに心臓をわしづかみにされて冷や汗をかくことができます。
で、最近のキーシン。
まず、1997年プロムスより、有名どころのパガニーニ/リスト ラ カンパネッラをどうぞ。
2007年。ベートーベン、「なくした小銭への怒り」。このブログでも書いたことがありますが、おなか周りの恰幅がとてもよろしゅうなりました。
白クマ打ちがIEできちんと動いていなかったことに気づき修正した。
ただ、まだ不具合は残っていて、リロードしても同じ問題になってしまいます。FireFoxではちゃんと動いているのは確認しています。
クロスプラットフォーム、うっとーしー。
世の中には2種類のピアニストしかいない。ホロヴィッツとそれ以外だ。なんて言う人がいるかもしれないくらい熱狂的なファンがいる人である。1904年生まれ(記録上。正しい生年は1903年といわれる)で1989年、最後の録音を残した4日後に急逝。
魔性の演奏といわれることが多く、ラフマニノフのピアノ協奏曲3番やチャイコフスキーのピアノ協奏曲等、メジャーな協奏曲の中で史上最高の快演を残したと言っても過言ではないだろう。事実、ラフマニノフに自分よりうまく弾く、と言わしめした程だ。一方で演奏される機会では3番と双璧をなすラフマニノフの協奏曲2番の録音は残していない。本人曰く、「3楽章のクライマックスで、ピアノがオケの伴奏をしているのが気に食わない、演奏は嫌だ。」とのこと。しかもラフマニノフ本人に言うわけだからなんともスケールが大きい。それに対して「じゃ、好きに変えちゃっていいよ。」なんてラフマニノフも言っちゃうもんだからもう何が何やら。ちなみにピアノソナタの2番は似たようなエピソードで本当にホロヴィッツが編曲しちゃっているが協奏曲の2番は編曲せず、録音もしなかった。これを惜しむ人もいる。
チャイコフスキーの方は義父のトスカニーニとの競演がもっとも評価されているものの一つである。気むずかし屋で練習中にあまりにだめ出しをするから「トスカノーノー」と呼ばれた義父との録音である。余談だが、この父親から男勝り気質を譲り受けた娘のワンダに対し、「男好きだった」と言われているホロヴィッツは「男以上に男らしい」魅力を感じて結婚したとか。
生来の神経質で、体調面の問題を抱えることが多く、何度か休養を繰り返したが、1965年に復活後、還暦を超えているにしては驚異的な演奏を繰り返すこととなる。
まずは1968年録音のスクリャービンのエチュードOp.8-12とシューマンの子供の情景よりトロイメライ。
彼が弾くスクリャービンのエチュードはいくつか録音されており、これまた伝説的な録音と評価されている。上記はそのうちの一つであり、指を伸ばして弾くスタイルは日本では真っ先に矯正されてしまう奏法だ。「卵を持つように手を丸めて!」などとピアノ教師に叩きこまれた方々もいるかと思う。
ワイマールでリスト御大の演奏を聴く機会に恵まれた伊藤博文がリストを教師として日本に連れてこようと画策するも、リストがどのような人物かを知っている西園寺公望があきらめるよう説得した、などという出所不明のお話があり、「もしこのときリストが日本に教師として来ていたら、日本のハイフィンガー教育が栄えることなどなかったのに」などという想像が語られるほど、日本には音楽教育の悪しき伝統が明治以降変わらずに色濃く残っているわけだ。
ところが海外で指を伸ばして弾くような人は結構いるわけで、ホロヴィッツの場合特にそれが顕著である。指を伸ばして弾くタイプの人でも早いパッセージは指を丸めないとテンポが遅くなってしまうのだが、この人はのばしたままで指が駆けめぐる。専任調律によりハンマーを削っているから打鍵が軽くなっているからだ、などといわれることもあるが、それにしてもなかなかこうはいかないだろう。
トロイメライに関しては晩年彼が得意とした演目であり、ホロリときちゃいそうな演奏である。
さらにおじぃいちゃんになった後の最晩年のトロイメライ。
キーシンの項でも紹介した、さそうあきらの「神童」ではホロヴィッツとおぼしき”ロブコウィッツ”が主人公とかくれんぼをするシーンがある。主人公がロブコウィッツをおびき出すのに革命のエチュードを弾き、で戦争を思い出して妻ワンダに泣きつく。主人公に泣き虫とののしられてよろよろとピアノに向かって弾いた曲がトロイメライ。主人公は曲を聴いてホロリと涙し、泣き虫と逆にののしられる、なんていうシーンが描かれている。
さて、こちらは上で紹介したラフマニノフのソナタ2番(音のみ)。
3分20秒あたりで弦が切れ、再度同じフレーズから弾き直している。観客は大喜び。
上の方で紹介したラフマニノフのピアノ協奏曲3番。
75歳で弾いてのけるのだからやっぱり凄い。
8分40秒あたりではもう死んじゃうんじゃないかと。
続き
最晩年の英雄ポロネーズ。息絶え絶えで実に痛々しい演奏だが、演奏終了後の一息とともに、「何とか弾けたー」てな声が聞こえてきそう。演奏はともかく、この時期の少年のようないたずらな表情を見せるおちゃめなホロヴィッツが実は大好きだ。
さんざん紹介しておいて何ですが、この人の演奏を聴きたい場合は30年代~50年代の録音をCDで探し出すのが一番いいです。はまるととりつかれたように聞き続け、かつ、他の人の演奏が子供じみて聞こえるようになるので是非試してみては。
ランラン。
さすが…あちこちでエクスタシーを表現しています。
1分55秒あたりで”フレミングの左手”、3分丁度ぐらいで”小山ゆ~えんち~”が見られます。
腹筋ブレイカー。彼がホロヴィッツの孫弟子であることを考えると切なく感じる。
目をつぶって聴いていると意外に悪くない気もする。
大御所アルトゥール ルービンシュタイン。
どうしても見るたびに笑ってしまう。
http://jp.youtube.com/watch?v=Wj6_5qWZCDY&feature=related
埋め込み無効なので直接見てくださいな。