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February 2007 アーカイブ

February 17, 2007

熊の湯ホテル

2006.08.03訪問。[ぐぐるまっぷ][サイト]
借り湯1000円。外観は昭和のホテル。創業は大正だそうだ。熊の湯はスキーであまりにも有名になり過ぎ、冬のイメージが強すぎた。夏の集客を考え、1999年、熊の湯ホテル以外の旅館は「ほたる温泉」と改称している。
ホテル内には昔のスキー板や今上天皇が皇太子の頃のスキーをしている写真など、いかにもその格式?歴史?を物語る展示物がずらりと並んでいた。
一方で浴室は一軒宿のように朴訥としており、檜の内湯と露天が1つずつ。


内湯
P1010130.jpg露天

お湯はバスクリンの緑を少しくすませた感じ。岩手の国見温泉程の鮮やかさはない。また、工事する前の青森・新屋温泉よりは色が濃い。油臭はあまりしないものの、浸かったとたんに膝の裏や肘の内側のような柔いところがピリピリとしみた。熱めのお湯で、夏場だったこともあり、長湯は出来なかった。冬に行きたいところではあるものの、このためにスタッドレス買うのもあれだし、スキー客で芋洗いにも成りそうなのでなかなか実現できそうにないなぁ。

五色温泉

2006.08.03宿泊。[ぐぐるまっぷ][サイト]
再び熊の湯〜山田牧場を抜ける林道を通り五色温泉へ。この道は狭いものの、牧場を抜ける朗らかで、尾根伝いに広がる牧場にのんびりとホルスタインが寝そべっていたりする。
尾根に放牧しているため、牛の運動不足解消にもいいのかもしれない。
ソフトクリームを食べようと麓のロッジに入ると全く人のいる気配が無く、黒電話のすぐ横に電話をするよう書いてあったのでそれに従うと、年配の女性が慌てて電話に出た。
そして何を言っているかよくわからない対応でそのまますぐ切られた。唖然としてぼんやりとたっていると電話相手とおぼしき女性がいわゆる「お母さんのおほほ笑い」をしながら隣の食堂から走って現れた。
あまり人が来ないのだろうか、突然客がきたのでびっくりしただかなんだか、まるで柳沢のような台詞とともに盛ったソフトクリームは、相当慌てていたのだろう、やっぱり斜めに歪んでいた。

山田牧場を後にし、3時前に五色温泉に着く。
かなりお年を召したおじいさん(で照会されている水野さんという方と思われる)が対応してくれた。
ゆっくりとした口調で施設の説明と、風呂は何時でも入れること、明日はどこへいくのか、といったやり取りに30分ほどかけ、その中で翌日上田城を見に行くと答えると、後ほど案内を持ってくるとの言葉を残しておじいさんは部屋を出て行った。
おそらく上田城の資料は見つからなかったのだろう、(実際、翌日行ってみたところ案内を作る必要があるほど大したこともなく、あまり自治体も力を入れている様子はなかった)結局おじいさんを見たのはそれっきりだった。

ゆるりと流れるおじいさんの時間がそのまま余韻として残り、早めに着いた宿では蝉の声と川のせせらぎがあふれていた。夕食まで時間もあり、まずは露天に向かった。

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混浴露天
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露天からの眺め
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女性露天

混浴の露天と女性露天があり、混浴露天は川沿い、女性露天はすこし薮の中の奥まったところにある。岩風呂の混浴露天は、前の人が出てから相当立つのだろう、かなりな熱さだった。温泉場でよく見るゴムの黒パイプで給湯しており、それを移動して流入量を調節して温度管理している様子だが、容赦なしに全量投入されていた。
この時の混浴露天の湯の色はほぼ無色で湯船の底の湯の花のせいで薄い灰色に見えた。痛い日差しと熱めのお湯が熊の湯でやられた皮膚にしみた。
休もうと湯船へりへ上がってもコンクリートが尻に刺さるような感覚でなかなか長湯が出来なかった。
とはいっても浴感たっぷりで部屋に戻ると湯疲れからそのままウトウトとしてしまった。
物音に気づくと既に5時過ぎ、夕食の準備がはじまった。
部屋食でお膳が運ばれてきたが、何やら物足りない。とりあえずはここの名物の沢ガニの素揚げを食べていると、さらに山菜の天ぷらが出てきた。
どうやら温かいものはできたてで、という客には嬉しいポリシーなのか熱々のものを順に部屋へもってくるシステムだった。
天ぷらにしろカニの素揚げにしろ非常においしく、少し高めの宿泊費も納得のものだった。

食事後、内湯へ。
p1010133.jpg内湯
木造の小屋の中にぽつねんとしていた。露天と異なり、緑のお湯だった。五色温泉のお湯の色は天気と気温で変化するそうだ。内湯には宿泊者専用の家族風呂が他にも2つあり、色の変化を楽しむためにも次は連泊したいものだ。

加賀井温泉

2006.08.04訪問。 [ぐぐるまっぷ]
前泊の五色温泉をでて上田城を見学した後、R339で松代方面へ。途中、十割そばの福田(訪ねた1週間後ぐらいに近所へ引っ越したそうだ)で昼食をとり、加賀井温泉に着いたのは13時過ぎ。
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加賀井温泉外観

写真の左手前にある母屋?に行くとおばさんが対応してくれた。一浴(ここでは日帰り入浴をそういう)料金の300円をはらうと、初めてきたのかどうかを聞かれた。来たことがない旨を伝えると知る人ぞ知るご案内が始まった。

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内湯外観
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源泉槽
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パイプからの析出物

源泉槽、露天や内湯の案内を5分ほど紹介された後、ちょっとした立ち話。
「どこからきたの?」
「小田原です。」
「… (じろりとこっちを見てなぜか間が開く)」
「いや、あの、神奈川です。」
「知ってるわよぉ。藤沢に住んでいたんだから。」
「…(なぜ間が空いた?)」
とやり取りをした後、内湯へ。
060805_1209_03.jpg
内湯

浴槽は炭酸カルシウムがこびりつき、サルノコシカケのようにスケールを形成している。驚いたのは温泉場につきもののケロリン洗面器にまでこびりついていたこと。これだけの析出があると主の苦労も半端ではないだろうに。
湯の表面に既に皮膜を形成し、指でつつくと壊れる様が面白くて何度も試した。炭酸の多い湯では地上に噴出した時点で圧力が下がることにより炭酸が遊離していく。結果として炭酸水素イオンがカルシウムイオンと反応して析出する。
2HCO3-+Ca2+→CO2↑+CaCO3+H2O
なんてことを考えつつ、外にあった源泉槽は内湯での事故を防ぐことを目的とした炭酸を抜くためのものなんだろうなぁ、などと人の知恵と偉大なる地球の営みの結果でき上がったスケールを眺めていた。
考えてみれば析出しているその場で炭酸は遊離している訳で内湯の空気中炭酸濃度もそれなりにあるんではないか、なんていまさら気づいた。
ちなみに炭酸カルシウムの沈殿は本来白色であるが、おそらくここの湯は含鉄であるが故に茶褐色となっている。シルトを含む鍾乳石と同じような現象ですな。

20分ほどそれなりに内湯を楽しんだ後、露天に行ってまたビックリ。
二つの浴槽に浸かっているジジババ軍団はなんと日傘をさしており、一人はさらに文庫本を読んでいた。本を読む強者はよく見かけるものの、日傘を持ち込んでの人は初めてだ。
こりゃぁ、常連の間に割って入るわけにはいかないなぁ、とたじろいだが、湯口近くは熱めだからか空いていた。
とりあえずそこに身をうずめたが、これまたぬるめのお湯でちょうど良く、長湯が出来た。一度も湯船から出ること無く20分程浸かって出たが、先客の強者どもは全く出る様子はなかった。おそらく平日のプールで歩いているじぃさんばぁさんのごとく、1時間以上のコースで楽しんでおられるのでしょう。
湯から上がって木陰のベンチで涼んでいると頑固そうな親父が近づいてきて
「あの車はあんたのかい?」
と尋ねてきた。
彼はここの名物主人で湘南ナンバーのミニを見て、あんな車でこんなところまでくるとはなんとも変わったやつが来た、と、やれエアコン利かないだろう、高速乗れないだろう、とぶっきらぼうな口調で一通り質問攻めをしてきた。
聞けば元々藤沢に住んでいて(先ほど案内してくれた女性とは夫婦だろう)大学の教官をしていた、息子がミニに乗っていてあんな車は乗るもんじゃないと感じていたこと等、一方的にまくしたてた後、ようやく温泉のお話。万座近辺の湯を巡ってここへ来たこと、湯がキツくて肌がやられ気味なことを伝えると、北信濃の湯は日に何湯も入るもんではないだとか、うちの湯には常連が浸かってはでてを繰り返すようないい湯だ、だとか、最初は日帰り入浴としていたが、そういう人たちもいるから一浴と休憩入浴に分けている、だとか、休憩入浴は内湯の向こうの建物を休憩所としながら浸かるルールだ、だとかといった講釈を預かった。
時間にして30分程度。さすがは元大学の教官。お話好きである。

家に帰ってさらにビックリ。彼が旧東京水産大学の教官であったことはすぐに調べがついたが、こんな成果も出していた。水産大学の教官(当時はまだ教官ではないかも)が地学誌に論文投稿。さらには松代群発地震のときに温泉の温度と湧出量の変化から地震予知をしていたことなんかもでてきた。いやはや、おみそれいたしました。





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