2006.08.04訪問。 [ぐぐるまっぷ]
前泊の五色温泉をでて上田城を見学した後、R339で松代方面へ。途中、十割そばの福田(訪ねた1週間後ぐらいに近所へ引っ越したそうだ)で昼食をとり、加賀井温泉に着いたのは13時過ぎ。
加賀井温泉外観
写真の左手前にある母屋?に行くとおばさんが対応してくれた。一浴(ここでは日帰り入浴をそういう)料金の300円をはらうと、初めてきたのかどうかを聞かれた。来たことがない旨を伝えると知る人ぞ知るご案内が始まった。
内湯外観 | 源泉槽 |
パイプからの析出物 |
源泉槽、露天や内湯の案内を5分ほど紹介された後、ちょっとした立ち話。
「どこからきたの?」
「小田原です。」
「… (じろりとこっちを見てなぜか間が開く)」
「いや、あの、神奈川です。」
「知ってるわよぉ。藤沢に住んでいたんだから。」
「…(なぜ間が空いた?)」
とやり取りをした後、内湯へ。
内湯
浴槽は炭酸カルシウムがこびりつき、サルノコシカケのようにスケールを形成している。驚いたのは温泉場につきもののケロリン洗面器にまでこびりついていたこと。これだけの析出があると主の苦労も半端ではないだろうに。
湯の表面に既に皮膜を形成し、指でつつくと壊れる様が面白くて何度も試した。炭酸の多い湯では地上に噴出した時点で圧力が下がることにより炭酸が遊離していく。結果として炭酸水素イオンがカルシウムイオンと反応して析出する。
2HCO3-+Ca2+→CO2↑+CaCO3+H2O
なんてことを考えつつ、外にあった源泉槽は内湯での事故を防ぐことを目的とした炭酸を抜くためのものなんだろうなぁ、などと人の知恵と偉大なる地球の営みの結果でき上がったスケールを眺めていた。
考えてみれば析出しているその場で炭酸は遊離している訳で内湯の空気中炭酸濃度もそれなりにあるんではないか、なんていまさら気づいた。
ちなみに炭酸カルシウムの沈殿は本来白色であるが、おそらくここの湯は含鉄であるが故に茶褐色となっている。シルトを含む鍾乳石と同じような現象ですな。
20分ほどそれなりに内湯を楽しんだ後、露天に行ってまたビックリ。
二つの浴槽に浸かっているジジババ軍団はなんと日傘をさしており、一人はさらに文庫本を読んでいた。本を読む強者はよく見かけるものの、日傘を持ち込んでの人は初めてだ。
こりゃぁ、常連の間に割って入るわけにはいかないなぁ、とたじろいだが、湯口近くは熱めだからか空いていた。
とりあえずそこに身をうずめたが、これまたぬるめのお湯でちょうど良く、長湯が出来た。一度も湯船から出ること無く20分程浸かって出たが、先客の強者どもは全く出る様子はなかった。おそらく平日のプールで歩いているじぃさんばぁさんのごとく、1時間以上のコースで楽しんでおられるのでしょう。
湯から上がって木陰のベンチで涼んでいると頑固そうな親父が近づいてきて
「あの車はあんたのかい?」
と尋ねてきた。
彼はここの名物主人で湘南ナンバーのミニを見て、あんな車でこんなところまでくるとはなんとも変わったやつが来た、と、やれエアコン利かないだろう、高速乗れないだろう、とぶっきらぼうな口調で一通り質問攻めをしてきた。
聞けば元々藤沢に住んでいて(先ほど案内してくれた女性とは夫婦だろう)大学の教官をしていた、息子がミニに乗っていてあんな車は乗るもんじゃないと感じていたこと等、一方的にまくしたてた後、ようやく温泉のお話。万座近辺の湯を巡ってここへ来たこと、湯がキツくて肌がやられ気味なことを伝えると、北信濃の湯は日に何湯も入るもんではないだとか、うちの湯には常連が浸かってはでてを繰り返すようないい湯だ、だとか、最初は日帰り入浴としていたが、そういう人たちもいるから一浴と休憩入浴に分けている、だとか、休憩入浴は内湯の向こうの建物を休憩所としながら浸かるルールだ、だとかといった講釈を預かった。
時間にして30分程度。さすがは元大学の教官。お話好きである。
家に帰ってさらにビックリ。彼が旧東京水産大学の教官であったことはすぐに調べがついたが、こんな成果も出していた。水産大学の教官(当時はまだ教官ではないかも)が地学誌に論文投稿。さらには松代群発地震のときに温泉の温度と湧出量の変化から地震予知をしていたことなんかもでてきた。いやはや、おみそれいたしました。